医療におけるAIの行く先を語るとき、想像力をかき立てる絵姿へと一気に飛躍したくなる 誘惑がある。ベッドサイドにいて、動き、語り、手を貸すロボットだ。私たちもその絵姿を 思い描く。だが、誰であれそこにどうたどり着くかについての誠実な説明は、はるかに映画 的でなく、はるかに重要である。それは積み上げられた一連の段階であり、その一つひとつ が、前の段階が築いた信頼の上に乗っている。段階を飛ばしても、早く着くわけではない。 安全でない何かにたどり着くか、まったくたどり着かないかのいずれかだ。

そこで本稿は、私たちが目指して築いている道筋について、あえて地に足のついた視点で見 つめるものである。それはAIネイティブな画像診断から始まり、エージェント型の臨床アシ スタントを経て、身体化された臨床的存在へと向かう。各段階はそれ自体で有用だ。どの段 階も、次の段階についての約束に依存していない。そしてどの段階も臨床医を主導権の側に 置き続ける。それこそが、この道のりの最後まで保たれなければならない性質だからだ。

なぜ画像診断から始めるのか

私たちがAIネイティブな画像診断から始めるのは、そこが、最も明確な条件のもとで支援が 自らを証明できる場だからだ。画像診断は構造化されており、境界が定まっており、その出 力は見直しがきく。所見は提示され、検討され、それに責任を負い続ける人によって承認さ れうる。私たちの放射線科業務の中核に据えられた検証者・承認者のパターン――放射線科医 が検証し承認する、準備された半自動の報告書――は、単なるワークフローの細部ではない。 それは、その後に続くすべての雛形なのである。

画像診断はまた、早い段階から規律を強いる。内視鏡、病理、放射線の各領域で、それらの 分野がすでに依拠している基準に従って働くということは、支援が実際の臨床実践を回り込 むのではなくその中に収まらねばならず、なおかつ人を決定の中心に確固として据え続けね ばならないということだ。課題が明確に定義され、出力を検査できるこの場で信頼できない 道具は、より厳しいどこにおいても信頼される資格を持たない。画像診断を正しくやり遂げ ることこそ、システムがより多くを行う権利を得る道なのである。

手を伸ばして取る道具から、傍らで共に働く道具へ

道具は取り上げられるのを待つ。アシスタントは参加する。画像診断からエージェント型の 臨床アシスタントへの一歩は、前者から後者への一歩であり――単なる能力の変化ではなく、 種類そのものの真の変化である。

Myroがそのアシスタントだ。それは単一の画面の中ではなくワークフロー全体にわたって、 双方向の音声とテキストを通じて働き、臨床医がすでに使っているシステムに接続する。変 化は、Myroが課題と課題のあいだで文脈を運び、役に立つ行動をとり、臨床的決定を取り巻 く雑務を減らせるという点にある――尋ねられたときに答えるだけではない。それは真に、よ り有用だ。同時にそこは、過剰に委ねたくなる誘惑がいっそう強まる地点でもある。流暢で 有能なアシスタントは、まだ得てもいない以上に、たやすく信頼されてしまうからだ。

だからこそ、私たちの枠組みにおいてエージェンシーとは、つねに監督下のエージェンシー を意味する。Myroは支援をワークフロー全体へと広げるが、結果の重い局面は依然として確 認のために人へと差し戻される。それは、判断を決して密かに自ら下すことなく、判断を取 り巻く下働きをこなすよう作られている。できることが多くなるほど、その一線のうちにい っそう慎重に留め置かれねばならない――そして、それをいかに留め置くかを教えてくれたの が、画像診断の仕事だった。

身体化――誇張を排し、率直に述べる

ここは大げさに売り込みやすい部分なので、率直に述べよう。私たちが目指して築いている 方向には身体化が含まれる。すなわち、未来のヘルスケア・ヒューマノイドロボットの頭脳 としてのMyro、画面の上だけでなく部屋の中に存在するアシスタントだ。私たちはそれを、 真剣で価値ある到達点だと考えている。同時に、それについての語りの大半は実体より何年 も先走っているとも考えており、どちらがどちらなのかを明確にしておきたい。

身体化が最も難しい段階であるのは、まさに物理的世界が容赦なく、賭けられているものが 人間だからだ。ベッドサイドの存在は、画面が決してそうである必要のなかった仕方で頼り になるものでなければならず、立証の責任はそれに応じて高まる。だから私たちはそれを、 期日ではなく方向として扱う。それを信頼に値するものにするのは、派手な試作品ではなく、 同じ文脈と同じ規律を携えた同じ頭脳が、その下の各層がその重みを担う資格を得たあとに 初めて物理的な形へと入っていくことだ。そのロボットは、来るとすれば、そして来るとき には、信頼に足るアシスタントの最後の表現であって――それを築く労を飛ばす近道ではない。

すべてを貫く一本の糸

画像診断、エージェンシー、身体化を結ぶものは技術ではない。それは構えだ。あらゆる段 階で、主導権を握っているのは臨床医である。重要なものを検討し、覆し、承認する。支援 はその価値を証明して信頼を得る。エージェンシーは監督下でそれをワークフロー全体へと 広げる。身体化はやがてそれをベッドサイドへともたらす。形は変わる。責任は移らない。

これもまた、順序が重要であり、並べ替えられない理由だ。各段階は、その前にあったもの に根ざしている。支援が自らを証明するまでは、責任をもってエージェントをワークフロー 全体に据えることはできず、エージェントがそうするまでは、責任をもって部屋の中に身体 を置くことはできない。信頼は積み重ねられるものであって、宣言されるものではない。一 枚のスライドや一件の検査で信頼に値しなかったシステムは、自らの足で立って信頼される 権利を得てはいないのだ。

一つの方向、一歩ずつ積み上げて築く

私たちはこの枠組みを、制約というよりむしろ明晰さをもたらすものと感じている。それは、 いま何を築くべきかを教えてくれる――画像診断における、より優れた、より検査しやすい支 援を。そして、その仕事が何のためにあるのかも教えてくれる――より多くを成しうるアシス タント、そして究極的には、ケアが実際に行われる場で手を貸せる存在だ。それはまた、歩 調について私たちを誠実に保ってくれる。各層はそれ自体で立たねばならず、臨床医を主導 権の側に置き続けねばならない。さもなければ、次の層を築くことは許されない。

だからこれは、私たちが目指して築いていく方向であり、地に足のついた一歩また一歩で進 む。ロボットへの飛躍ではなく、それへの道だ――その一つひとつの段階が今日において有用 であり、その一つひとつの段階が同じ約束を守る道。到達点は野心的だ。そこへ至ろうとす る私たちのやり方は忍耐強く、その忍耐こそが要点なのである。